私がリストカットをやめられた方法
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リストカットをやめたい人へ
こんにちは、咲です。
精神的な病を抱える人の中には、リストカットをやめたくてもやめられずに苦しんでいる人もいるのではないでしょうか。
私も、統合失調症を発症してから5年間、リストカットがやめられませんでした。
その後、いろいろな方法を実践してリストカットをやめることが出来たので、今回はリストカットをやめる方法についてお話していきたいなと思います。
何故リストカットをしていたのか
冒頭でも少し触れましたが、私は統合失調症を発症してから5年間、リストカットをしていました。
統合失調症を発症してからというもの、「自分とは何なのか?」「私はいったい誰なのか?」という恐怖と戦う日々。
そんな中、「体をつねる」「本の角で頭を叩く」等の自傷が始まります。
痛みを感じると、何故か安心したのです。
振り返ってみると、自分という存在があやふやに溶けてしまう感覚が、痛みによって消えるような気がしていたのかな、と思います。
自分を取り戻すための自傷はエスカレートしていき、私はついにリストカットするようになりました。
リストカットをすると自分を取り戻せる気がしていた
私の場合、統合失調症と宣告されてからも病状がよくなることはありませんでした。
むしろ、日に日に悪化していったのです。
一日に何十錠も薬を飲んで、だんだんと自分という存在が分からなくなっていきました。
それが何よりも怖かった。
本当に怖かった。
私の体を虫が這いずり回るのを感じるたびに、耳元で爆発音がするたびに、街ゆく人々に噂話をされるたびに、
「私は頭がおかしくなったのか?」
「このまま治らなかったらどうしよう」
「私は本当に人間なのか?」
という恐怖でパニックになりました。
瞬間的にリストカットする私。
家族にも理解されない苦しみや死にたい気持ちを抱え、恐怖が私を支配する時、「切る」ことによって気持ちがスッと落ち着くのです。
まるで、自分が取り戻せるような感覚。
だんだんとリストカットせずにはいられなくなり、手首を切りつけると気分が高揚するようになっていきました。
リストカットをやめようと思ったきっかけ
リストカットが始まってから5年。
ちょうど、主治医から処方される薬が減ってきていた時期でした。
希死念慮はあったものの、統合失調症の症状は落ち着きつつありました。
しかしこの5年の間に、自分を取り戻す為のリストカットは、いつの間にか「切る」興奮を得る事が目的になっていました。
惰性でもあったかもしれません。
あるいは、希死念慮からの解放のためか。
統合失調症の病状が改善されていく中、ふわふわとした希死念慮がまとわりつく日々。
そんな中で、本当に少しずつではありましたが、自分自身を客観的に見つめる時間が増えていきました。
そして、「惰性」と「死にたい気持ちから解放されて生きるため」にしてきたリストカットを「やめたい」、「やめるべきなんだろうな」という気持ちが湧いてきたのです。
モヤモヤと悩み続け、ついに、リストカットをやめることを決意しました。
リストカットをやめるために実践した5つの方法
私がリストカットをやめるために実践したのは、主に5つの方法でした。
- きちんと通院し、薬を服用する
- 1日10分太陽の光を浴びる
- 家族や友人に理解を求めない
- 切りたくなったら5分だけ別のことをしてみる
- また切ってしまった…と自分を責めない
どうしてこの5つを実践したのか、説明していきたいと思います。
1.きちんと通院し、薬を服用する
リストカットをやめようと決めた私は、まず、
「きちんと通院し、薬を服用する」
ことから始めました。
何故なら、「もうこんなことはやめよう」と思えたのは、心が少しずつ安定してきたからだと思ったのです。
それまでは薬を飲んだり飲まなかったりを繰り返していた私ですが、薬をきちんと服用することでさらに心が安定していきました。
2.1日10分太陽の光を浴びる
次に、1日10分太陽の光を浴びるように心掛けました。
たまたま日記を読み返していた時に、冬や天気が悪い日に調子が悪くなっていると気が付いたからです。
当時は理由は分かりませんでしたが、少しでも心の調子を良くするために、毎日10分日向ぼっこをしていました。
そういえば、あれは何故だったのだろう…と思い調べてみると、気分が鬱気味になる原因として、人を穏やかな気分にさせる脳内の神経伝達物質「セロトニン」の不足が挙げられるということが分かりました。
セロトニンは太陽の光を浴びずにいると活動しなくなってしまうらしく、短時間日向ぼっこをするだけでもセロトニンの分泌が促せるということなので、ぜひ皆さんにお勧めしたいと思います。
3.家族や友人に理解を求めない
ここまで心がけて、ある程度の心の落ち着きが取り戻せた段階で、「家族や友人からの理解を求めない」ように心掛け始めました。
というのも、それまでの私は友人や家族、特に両親に対して
「これだけ辛い、苦しい思いをしているのにどうしてわかってくれないんだ!」
「ちっとも私の病気のことを知ろうとしてくれない!酷い!」
という気持ちが強かったのです。
本当に辛く、助けて欲しいと思ったときに母から投げかけられた言葉は今でも忘れられません。
「私の育て方が悪かったからだ」
「どうしてこんな風に育ってしまったの?」
父は父で、私の病気のことは知らぬふりでした。
私は、両親にこの辛い気持ちを分かって欲しかったのです。
「辛いよね」と、ただ抱きしめて欲しかったのです。
でも、それは願っても叶わないことだと知りました。
家族とは、血が繋がっているだけで他人なのだと。
理解を求めれば求めるほど、自分自身が傷つくと分かってからは、他人へ期待することをやめることにしました。
それによって心の平穏が少しずつ保たれるようになっていったのです。
4.切りたくなったら5分だけ別のことをしてみる
ここまで実践するとリストカットは減ってきていましたが、それでも時々、無性に切りたい衝動に駆られる日もありました。
「切りたい!」
そう思ったとき、頭の中はリストカットでいっぱいになっていて、他のことが考えられなくなります。
そこで、切りたい気持ちが湧いた時には別のことを5分だけやってみることにしました。
やることは様々で、ステッパーを踏んでみたり、音楽を聴きながら部屋を掃除してみたり、はたまた縄跳びしてみたり。
「5分経ってもまだ切りたかったら、その時は仕方ないだろう」と割り切ることで、切ってしまってもそんなに自分を責めずに済んだことがよかったのだと思います。
統合失調症を発症してからずっと自分を責めてきましたから、リストカットをしても自分を責めずに済むというのは、本当に救いになりました。
万が一我慢できず切ってしまっても、「5分だけ我慢する」ことが免罪符になっていたのだと思います。
それによって、かえってリストカットの回数は減っていきました。
5.また切ってしまった…と自分を責めない
リストカットをやめる最終段階。
「また切ってしまった…」と自分を責める気持ちが、さらに切りたい衝動に駆られる原因だと気が付きました。
「長いことリストカットに助けられてきたのだから、すぐにやめられなくても仕方ないだろう」と思うことで、心に余裕が生まれ、ついにはリストカットをやめることができたのです。
リストカットをやめてみて思うこと
リストカットをやめて、もう20年ほどになります。
今では血を見るのも怖いですし、剃刀を肌にあてることも出来なくなりました。
心が不安定になることは今でもありますが、それでも「切ろう」という気持ちにはなりません。
夏になると、半袖から覗く左腕を見ながら、ふと思います。
「生きてきてよかったなあ」と。
最後に
「リストカット」という行為は、それ自体に中毒性があり、だからこそ抜け出すのが大変でした。
やめようと思ってもつい切りたくなってしまうのです。
でも、やめたい気持ちがあるのであれば、そこから抜け出すことはできます。
私自身が、リストカットという辛く苦しい沼から抜け出せたからです。
私の個人的な体験を記したこの記事が、やめたいけれどやめられずに苦しんでいる人のお役に立てば嬉しいです。